忍者ブログ
2024/03月

≪02月  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  04月≫
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

表向きにはただだんごだんご言っているだけの曲かな。と感じるんですが。

私の解釈では…あれって世界平和を歌っているような気がするんですよね。



だんご…個人個人

家族…世界中の人々



ほら、これで全然解釈が違ってきません?

いろいろ個性のある様々なだんご。そんなだんご達が集まって大家族。嬉しい事も悲しい事も全部丸めて一つの世界。

そんな理想の世界へ…



何かとてつもなく歌いたくなりましたね。
PR
いわゆる芸能音楽と、ボカロ曲との違いとは何でしょう?

真っ先に飛び出すのは、プロかそうじゃないか。人が歌うかボカロが歌うかだと思うのですが、今日は私の解釈を書こうと思います。

ボカロ曲の特性とは何か、私の思うことを書いておきます。



まず一番にあげられる事は、非営利性だと思います。

もちろん有名になりたい。人から評価されたいという思いで曲を作る人も居るでしょうが、大多数を占めている事はないでしょう。

芸能音楽とは違い、儲ける為に作られた道具ではない。作曲者の気持ちを表現した創造物であると言うことですね。

これがまず第一にあります。



続きましては、ボーカル非依存性でしょうか。

どの作者が曲を作ってもボーカルは同じです。ボーカロイド。つまり声も同じですし歌い手が音を外す事もない。

もし作った曲を自分が歌ったり、誰かに歌わせて、ボーカルを入れて動画をアップすると…

「歌上手いなw」
「ボーカルひでえwww」

とかなるわけです。純粋な曲の評価から遠のいてしまう。だからこそ全員機械で曲を作る事によって、ボーカルの評価から離れる。

作曲作詞を評価してもらう。そのチャンスを全員平等に与える。これもボカロ曲の特性だと思います。



そして私が思う最後にして最大の特性は不完全性だと思います。

機械での表現は絶対に人間の表現には適いません。確かに機械でしか表現出来ない世界もあるでしょうが、基本的に人間の気持ちを表現するのには人の魂を込めた歌や演奏が必要です。

つまりボカロに歌わせている時点で作品としてはまだ発展途中。未完成状態です。誰かに魂を吹き込んでもらう作業が必要です。

しかしボカロ曲の特性は曲は不完全なまま。作者は不完全な状態の曲をネットにアップします。

そしてその曲を聞いた人が各々の歌や演奏をネットにあげる。そうして作品を完成させるんです。各々が自分の魂を込め、音楽として人の心へ訴える曲がようやく誕生します。

オーケストラなどのクラシック音楽と同じですね。あの一つ一つの音譜に偉大な作曲家達の生命が宿っているか…、それを各々の演奏者が自分なりに魂を込め演奏する。その度に新しい音楽が生まれる。

作者が完全に完成し尽くしていないから、未完成だからこそ、音楽が広がり多角的に表現が深まる。それがボカロ曲の最高の長所だと「私は」思っています。



ただし例外もありまして、先程も言いましたが、機械だからこそ表現出来る曲もあるのです。機械だからこそ活きる、ボーカロイドを使う方が作者の気持ちが表現出来る。

この場合は作者が始めにアップした時点で一度曲は完成を迎えます。ただそのような曲は私は4~5曲しか知りませんし、作っている作者さんも1人か2人程度です。



つまりボカロ曲の特徴はまとめますと

営利に囚われず、ボーカルに依存しない、かつアップした状態は作者の気持ちが表現出来ていない未完全ゆえに様々な歌い手演奏者により多角的に表現される。そうして広がっていく曲。

または、ボーカロイドだからこそ、機械だからこそ作者の気持ちを表現できる。だからボーカロイドを使って完成される曲。

となります。





私は昔からそうなのですが、J-POPを聞くにしてもアーティスト依存をしません。「○○の新曲だから」という理由で音楽を聞くのは失礼だと思っています。

アーティスト依存は、音楽の価値をおとしめます。何せ音楽を芸術として聞かずに特定のアーティストというブランド品として聞いていますからね。

今は詳しく語りはしませんが、私は今の日本の芸能音楽は聴けません。外国の曲はまだ聞けるのでしょうが、言葉が分からず歌えないのでアウト(笑)

じゃあ何を聞くのだ? と言われればボカロ曲ですよw、正確には歌ってみたですよ。

ただ、最近のボカロ曲は…いえ最近の歌ってみたは芸能音楽と近い色を放っています。

懐古厨www、とか言われそうですが、単純に思い出補正で昔の歌ってみたに陶酔しているわけではありません。ただ今は明らかに芸術作品としては劣化している。そう言いたいのです。

曲の作者さんは変わってはいません。むしろ今の方が芸術気色が強いほどです。昔より今の方がいい曲が多い…。

ところがその曲を完成させる歌い手や演奏者が変わってきています。個々の芸術性ではなく量産されるブランドを生み出す。

極めつけは聞き手です。昔と今とで最も違うところですよね。聞き手が芸術性よりもブランドを求めているのだから仕方がない。そりゃあ歌い手と聞き手の意思が合えばそういう曲が量産されますわなw



ボカロ曲は好きですが、未完成の作品をそのまま芸術として聴けるはずがありません。

完成させるために、自分で歌うために聞こうにも、私はどうしてもボカロの声が合わず、聞くと耳が痛くなってしまいます。そもそもそれじゃあ完成した芸術が自分で聴けない(笑)

歌ってみた曲を聞こうにもどうしてもそこには芸術気色が薄れています。もう聞いていられる歌い手さんとかほとんど居なくなりましたからね。



結局、私は重症な懐古厨だなと納得しましたよ。変化を受け入れろとは言いますが、劣化を受け入れるのは結構難しいです。
歌の収録をしていました。1曲プラスαほど完成しまして、もう1曲完成したら動画作りとエンコードお願いしようと思っています。

歌っていて思ったのですが、メインボーカルよりコーラスとかの方がずっと時間掛かるんですよねw

だいたいメイン:その他が1:3くらいの割合で大変です。もっと技術が欲しいw

ミックスとかエフェクトとか入れると更に時間掛かって…
梅雨になりまして、一番困るのは洗濯物が干せない事なのですが。

個人的にはいつもの河川敷で発声練習出来ないのがそれよりも辛いんです(笑)
歌いたい気持ちがあれば、否応なしに体が歌を作っています。時にはそれをノートに綴ったり発声練習に回したり。

そういう時はタイトル通りの状態なのですよ、その感情を形にして閉じ込めたのが歌だと思っています。



さてさて、ところが最近の私には悩みがありまして…

歌えない時に限って、頭は歌の妄想でいっぱいいっぱいで脳内で歌の形が出来上がります。

でも歌えない。残念!

そして歌える状態に限って、気持ちが高まらず、結局歌えなかったり良い歌にならなかったり。

せっかく歌えるのに。残念!



ものすごく贅沢な悩みですよねw、それは分かってはいるのですが妥協した歌は歌いたくないのですよ。

対策として帰りの電車で歌詞ノートを覗いてみましょうかね。あれには私のベストが閉じ込めてありますから、引き出すことが出来れば…

歌ってみたレビュー(笑)はいつになることやらw
風邪がほとんど治ったのでいつも通りの発声練習再開したのですが、凄く楽しいですねw

今まで10日近くこれが封印されていたわけですが、やはり歌う事は私の生活の一部になっています。



久しぶりに練習して歌ってとすると、技術の低下が露骨に表れています…

音が取れないとか声が出ないとかそんな基本的なところですが。

風邪の間はずっとずっと表現の練習していましたので歌に対する気持ちはずっとずっと強くなっているんです。

しかし体がついて来ないために、とても無様な歌を歌ってしまいました。

まずはこの気持ちについて来れる発声を身につけます。そのまま気持ちも一緒に高めていけば良いと思います。





昼休みにレインボーガール熱唱していたら、クラスの女の子にガン見されていましたw

ちょっと恥ずかしかった…
マイク関連から。

今まではマイクを握って歌っていましたが、この度新たに2つの機材を購入しましてこれで録音環境は完璧です!






これがポップガードです。マイクに息が当たってボッとなるのを防ぐことが出来ます。

パピプペポとかどうしても息が当たってしまうものですからね。大事なのです。


そしてこれがマイクスタンドです。



マイクを握っているだけでもグリップノイズという騒音が入りますので、それを解消するのは大事なことなのです。

立って歌えるのも重要な点ですね。これでボーカルの基礎セットは揃いました!





そしてキーボードも購入したんですよ。



結構ごついですよ。



並んでみた。



さてさて、開封したらどうなっているのでしょうか、いざ!!!













ぎゃああああああああああ!!!





出す画像を間違えました。こちらです。



ふふふ、美しいですな。とりあえず思い出した度に弾いています。

そこそこ上達しまして、今はぶんぶんぶんと戦場のメリークリスマスともりのくまさんが弾けるようになりました。

ということでこれからも弾いて歌ってしていきたいところです!





ぶっちゃけあのネタがしたかっただけです。はいw

今新しい曲を歌おうと必死に歌詞ノート書いています。まぁノートというかルーズリーフな訳ですけども(笑)





やはり前に歌ったのはあくまでテストですので、歌も一発録りですし、歌詞ノートも不完全なままでしたからね。やはりもっとしっかり歌ってニコニコデビューを飾りたいのですよ。





アップしてくれた皆無(kaimu)様と相談した結果。動画作りととエンコードは皆無様にお任せして、アップは私がする。ということになりました。











そういえば、先日親族の誰かが死んだので納骨へ行ってきたのですが。





結局無信教の私には、全く心を込める事が出来ず、形だけ取り繕うということになりました。全く興味もありません。





それでも信仰していた人からすると、この行動は罰当たりではないでしょうか? おそらく喜ばれないでしょう。





形式だけを取り繕う。そこにどんな価値があるというのでしょうか? 信じている人は信じれば良いです。信じない人は巻き込まなくて良いはずです。





なんだか今の芸能音楽と結び付くような気がします・・・求められるのは心ではなくて形式というね。
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カウンター
プロフィール
HN:
ふれの・霞
性別:
男性
自己紹介:
兄・ふれの、弟・霞の兄弟によるブログです。霞よりふれのの更新率の方が高いです。



リンクの際には、こちらのバナーをお使いくださいまし。





また、こちらでふれののつぶやいているツイッターをブログ形式で回覧することが可能です。

こちらも是非ともご覧くださいまし。

最新コメント
[07/10 Toshi]
[05/30 胡蝶蘭]
[04/22 あずま]
[04/12 胡蝶蘭]
[04/01 胡蝶蘭]
[02/02 みくろ]
[01/30 みくろ]
[01/11 みくろ]
[01/07 みくろ]
[10/22 やまと!]
ブログ内検索
バーコード
アクセス解析

Copyright © 翠色・紫色に染まる日々 All Rights Reserved.
Material & Template by Inori
忍者ブログ [PR]