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いわゆる芸能音楽と、ボカロ曲との違いとは何でしょう?
真っ先に飛び出すのは、プロかそうじゃないか。人が歌うかボカロが歌うかだと思うのですが、今日は私の解釈を書こうと思います。
ボカロ曲の特性とは何か、私の思うことを書いておきます。
まず一番にあげられる事は、非営利性だと思います。
もちろん有名になりたい。人から評価されたいという思いで曲を作る人も居るでしょうが、大多数を占めている事はないでしょう。
芸能音楽とは違い、儲ける為に作られた道具ではない。作曲者の気持ちを表現した創造物であると言うことですね。
これがまず第一にあります。
続きましては、ボーカル非依存性でしょうか。
どの作者が曲を作ってもボーカルは同じです。ボーカロイド。つまり声も同じですし歌い手が音を外す事もない。
もし作った曲を自分が歌ったり、誰かに歌わせて、ボーカルを入れて動画をアップすると…
「歌上手いなw」
「ボーカルひでえwww」
とかなるわけです。純粋な曲の評価から遠のいてしまう。だからこそ全員機械で曲を作る事によって、ボーカルの評価から離れる。
作曲作詞を評価してもらう。そのチャンスを全員平等に与える。これもボカロ曲の特性だと思います。
そして私が思う最後にして最大の特性は不完全性だと思います。
機械での表現は絶対に人間の表現には適いません。確かに機械でしか表現出来ない世界もあるでしょうが、基本的に人間の気持ちを表現するのには人の魂を込めた歌や演奏が必要です。
つまりボカロに歌わせている時点で作品としてはまだ発展途中。未完成状態です。誰かに魂を吹き込んでもらう作業が必要です。
しかしボカロ曲の特性は曲は不完全なまま。作者は不完全な状態の曲をネットにアップします。
そしてその曲を聞いた人が各々の歌や演奏をネットにあげる。そうして作品を完成させるんです。各々が自分の魂を込め、音楽として人の心へ訴える曲がようやく誕生します。
オーケストラなどのクラシック音楽と同じですね。あの一つ一つの音譜に偉大な作曲家達の生命が宿っているか…、それを各々の演奏者が自分なりに魂を込め演奏する。その度に新しい音楽が生まれる。
作者が完全に完成し尽くしていないから、未完成だからこそ、音楽が広がり多角的に表現が深まる。それがボカロ曲の最高の長所だと「私は」思っています。
ただし例外もありまして、先程も言いましたが、機械だからこそ表現出来る曲もあるのです。機械だからこそ活きる、ボーカロイドを使う方が作者の気持ちが表現出来る。
この場合は作者が始めにアップした時点で一度曲は完成を迎えます。ただそのような曲は私は4~5曲しか知りませんし、作っている作者さんも1人か2人程度です。
つまりボカロ曲の特徴はまとめますと
営利に囚われず、ボーカルに依存しない、かつアップした状態は作者の気持ちが表現出来ていない未完全ゆえに様々な歌い手演奏者により多角的に表現される。そうして広がっていく曲。
または、ボーカロイドだからこそ、機械だからこそ作者の気持ちを表現できる。だからボーカロイドを使って完成される曲。
となります。
私は昔からそうなのですが、J-POPを聞くにしてもアーティスト依存をしません。「○○の新曲だから」という理由で音楽を聞くのは失礼だと思っています。
アーティスト依存は、音楽の価値をおとしめます。何せ音楽を芸術として聞かずに特定のアーティストというブランド品として聞いていますからね。
今は詳しく語りはしませんが、私は今の日本の芸能音楽は聴けません。外国の曲はまだ聞けるのでしょうが、言葉が分からず歌えないのでアウト(笑)
じゃあ何を聞くのだ? と言われればボカロ曲ですよw、正確には歌ってみたですよ。
ただ、最近のボカロ曲は…いえ最近の歌ってみたは芸能音楽と近い色を放っています。
懐古厨www、とか言われそうですが、単純に思い出補正で昔の歌ってみたに陶酔しているわけではありません。ただ今は明らかに芸術作品としては劣化している。そう言いたいのです。
曲の作者さんは変わってはいません。むしろ今の方が芸術気色が強いほどです。昔より今の方がいい曲が多い…。
ところがその曲を完成させる歌い手や演奏者が変わってきています。個々の芸術性ではなく量産されるブランドを生み出す。
極めつけは聞き手です。昔と今とで最も違うところですよね。聞き手が芸術性よりもブランドを求めているのだから仕方がない。そりゃあ歌い手と聞き手の意思が合えばそういう曲が量産されますわなw
ボカロ曲は好きですが、未完成の作品をそのまま芸術として聴けるはずがありません。
完成させるために、自分で歌うために聞こうにも、私はどうしてもボカロの声が合わず、聞くと耳が痛くなってしまいます。そもそもそれじゃあ完成した芸術が自分で聴けない(笑)
歌ってみた曲を聞こうにもどうしてもそこには芸術気色が薄れています。もう聞いていられる歌い手さんとかほとんど居なくなりましたからね。
結局、私は重症な懐古厨だなと納得しましたよ。変化を受け入れろとは言いますが、劣化を受け入れるのは結構難しいです。
真っ先に飛び出すのは、プロかそうじゃないか。人が歌うかボカロが歌うかだと思うのですが、今日は私の解釈を書こうと思います。
ボカロ曲の特性とは何か、私の思うことを書いておきます。
まず一番にあげられる事は、非営利性だと思います。
もちろん有名になりたい。人から評価されたいという思いで曲を作る人も居るでしょうが、大多数を占めている事はないでしょう。
芸能音楽とは違い、儲ける為に作られた道具ではない。作曲者の気持ちを表現した創造物であると言うことですね。
これがまず第一にあります。
続きましては、ボーカル非依存性でしょうか。
どの作者が曲を作ってもボーカルは同じです。ボーカロイド。つまり声も同じですし歌い手が音を外す事もない。
もし作った曲を自分が歌ったり、誰かに歌わせて、ボーカルを入れて動画をアップすると…
「歌上手いなw」
「ボーカルひでえwww」
とかなるわけです。純粋な曲の評価から遠のいてしまう。だからこそ全員機械で曲を作る事によって、ボーカルの評価から離れる。
作曲作詞を評価してもらう。そのチャンスを全員平等に与える。これもボカロ曲の特性だと思います。
そして私が思う最後にして最大の特性は不完全性だと思います。
機械での表現は絶対に人間の表現には適いません。確かに機械でしか表現出来ない世界もあるでしょうが、基本的に人間の気持ちを表現するのには人の魂を込めた歌や演奏が必要です。
つまりボカロに歌わせている時点で作品としてはまだ発展途中。未完成状態です。誰かに魂を吹き込んでもらう作業が必要です。
しかしボカロ曲の特性は曲は不完全なまま。作者は不完全な状態の曲をネットにアップします。
そしてその曲を聞いた人が各々の歌や演奏をネットにあげる。そうして作品を完成させるんです。各々が自分の魂を込め、音楽として人の心へ訴える曲がようやく誕生します。
オーケストラなどのクラシック音楽と同じですね。あの一つ一つの音譜に偉大な作曲家達の生命が宿っているか…、それを各々の演奏者が自分なりに魂を込め演奏する。その度に新しい音楽が生まれる。
作者が完全に完成し尽くしていないから、未完成だからこそ、音楽が広がり多角的に表現が深まる。それがボカロ曲の最高の長所だと「私は」思っています。
ただし例外もありまして、先程も言いましたが、機械だからこそ表現出来る曲もあるのです。機械だからこそ活きる、ボーカロイドを使う方が作者の気持ちが表現出来る。
この場合は作者が始めにアップした時点で一度曲は完成を迎えます。ただそのような曲は私は4~5曲しか知りませんし、作っている作者さんも1人か2人程度です。
つまりボカロ曲の特徴はまとめますと
営利に囚われず、ボーカルに依存しない、かつアップした状態は作者の気持ちが表現出来ていない未完全ゆえに様々な歌い手演奏者により多角的に表現される。そうして広がっていく曲。
または、ボーカロイドだからこそ、機械だからこそ作者の気持ちを表現できる。だからボーカロイドを使って完成される曲。
となります。
私は昔からそうなのですが、J-POPを聞くにしてもアーティスト依存をしません。「○○の新曲だから」という理由で音楽を聞くのは失礼だと思っています。
アーティスト依存は、音楽の価値をおとしめます。何せ音楽を芸術として聞かずに特定のアーティストというブランド品として聞いていますからね。
今は詳しく語りはしませんが、私は今の日本の芸能音楽は聴けません。外国の曲はまだ聞けるのでしょうが、言葉が分からず歌えないのでアウト(笑)
じゃあ何を聞くのだ? と言われればボカロ曲ですよw、正確には歌ってみたですよ。
ただ、最近のボカロ曲は…いえ最近の歌ってみたは芸能音楽と近い色を放っています。
懐古厨www、とか言われそうですが、単純に思い出補正で昔の歌ってみたに陶酔しているわけではありません。ただ今は明らかに芸術作品としては劣化している。そう言いたいのです。
曲の作者さんは変わってはいません。むしろ今の方が芸術気色が強いほどです。昔より今の方がいい曲が多い…。
ところがその曲を完成させる歌い手や演奏者が変わってきています。個々の芸術性ではなく量産されるブランドを生み出す。
極めつけは聞き手です。昔と今とで最も違うところですよね。聞き手が芸術性よりもブランドを求めているのだから仕方がない。そりゃあ歌い手と聞き手の意思が合えばそういう曲が量産されますわなw
ボカロ曲は好きですが、未完成の作品をそのまま芸術として聴けるはずがありません。
完成させるために、自分で歌うために聞こうにも、私はどうしてもボカロの声が合わず、聞くと耳が痛くなってしまいます。そもそもそれじゃあ完成した芸術が自分で聴けない(笑)
歌ってみた曲を聞こうにもどうしてもそこには芸術気色が薄れています。もう聞いていられる歌い手さんとかほとんど居なくなりましたからね。
結局、私は重症な懐古厨だなと納得しましたよ。変化を受け入れろとは言いますが、劣化を受け入れるのは結構難しいです。
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